10月31日(日)
台風23号から10日経ち今月も終わりの日となりました。市内一巡はまだ済んでないとのことですが夕方回ったところまだ残ってはいるものの随分ゴミの山が少なくなってきたように感じました。明日からまたゴミステーションに一般ゴミも含めてごみが出てくるでしょう。
通常の収集にもどるのは検討がつきませんが、ゴミとの戦いは当分続きそうです。
誤解を恐れず言わせてもらえば、月替わりを契機に復興と合わせて色んな事が動き出すよう期待するものであります。被災された方そうでない方も情報を始めモノもお金も飛び交うようになならければ豊岡市全体の力が湧いてきません。11月になる明日からの行動に
期待したいです。


10月30日(土)
肉体を使っているわけでもないのに体がだるいです。腰も痛くなり気分も最悪です。
朝、堤防が決壊した地区の友人が来て当日も翌日も自宅2階で過ごした体験話を聞き、明るく話すその姿に、かえって胸が痛くなりました。一階の家財道具が全部ダメで車も2台水没したそうです。
街中の被災地では、掃除用のタオル軍手食事等回ってきていないようです。みんなが一生懸命しているのになぜだかうまく回らない。何をしてもなんだかの批判を受ける。そのことをいやがり賢い人が多くなったせいか。現状を把握し指示できる人がいないようです。



10月29日(金)
ゴミのことで善意で言ったつもりがそのことを拡大解釈されて担当者にも言った方にも迷惑をかけてしまったようです。くやしいです。かといって何もしなくていいのかというとそういう状態でいることも苦痛ですし−−−。みんながもう少しゆずりあえばいいものを−−−。


10月28日(木)

まだまだゴミの回収が進んでいません。あのゴミの山がなくならなければ心理的に元気がでません。頑張って回収しているのですが取っても取っても出てくるのが現状です。被害の少ない街うちでもゴミの山が日増しに高くなっているのが現実です。議員としてどうすればいいか。事務局のベテラン職員と話していたのですが、県から国からの財政支援の陳情活動をすることが今できることじゃないかということに落ち着きましたが、それも考えまた市内の現状の把握もしながら何とか行動を起こしたいと決意しているところです。
また夜には左岸堤防が大丈夫だったみたいなTV放送があったみたいで、地区の皆さんから抗議の電話がありましたが、明日9時に市長が地元に入り説明をする手筈になっていますのでご理解を頂きたいと思います。


10月27日(水)
小泉首相がやっと来ました。2時間ほどの滞在でしたが現状を見ていただいて力一杯支援するという約束をいただいたので良しとしましょう。


10月26日(火)

小泉首相が来ると言うことでしたが天候悪化のため中止になったとのこと。何と情けないことか.。まあ明日は必ず来ることらいしいのですが。
自民党の玉澤災害対策委員長が県議団を引き連れて現地視察。保守系市議団も市長と一緒に復興支援を強く要請。災害に強い街作りと復興に最大限の財政支援をお願いしました。兎に角このごみを何とかしなくては。

 
10月25日(月)
会館の屋根の修理も終わり隣の家の修復も完了しましたが応急処置ですので早くに一部改築しようと考えています。年配の方からは臨時総会をしてということを言われますが、こういう時期なので区長先決で行いたいと考えています。
ゴミ処理のことで問い合わせと苦情がいっぱいです。自衛隊を頼んですぐ取り来てもらえと言う意見もありました。また産業廃棄物も引き取ることになり工業団地への持ち込みに対してもとても無理としてその対応に疑問を投げかける人もいます。
私も今はゴミ処理を最優先に、また政治的には県、国へ財政支援活動を活発にすべきと考えます。


10月24日(日)
今日も朝から被災されたところを回ってきましたが、ゴミ処理のことが大きな問題になっています。業者の方なのか担当の方なのかわかりませんがとても強い口調で対応されているみたいです。こんな状況の中できっちりした分別ができるわけでもなし集積場所までなど持って行ける力もなしもう少し心ある対応ができないものかとついつい思ってしまいます。
ゴミはこういう状況ですから何でも取ってしまわなければならないことに結局はなると思いますので何とかなるようまた明日から役所へお願いに、市長へも直接お願いするつもりです。夕方から一本松団地の屋上のタンクの水入れに消防団員として出動してきました。
段取りが悪くて困ってしまいました。具体的には消防団と水道事業所そして団地の管理人の意思疎通ができてないということです。混乱状態の時こそ冷静な対応が求められていると思うのですが。それとその時聞いた話ですが石灰でヤケドをするので使用には気をつけるよう、またどういう使用の仕方をするのかを説明しなければということを早くに生活環境課へ申し入れをしなくてはと、兎に角皆さんの手助けをしたいです。


10月23日(土)
梶原から江本までの被害は泥が堆積していてものすごい状況でした。田んぼの中を歩いて片付けをしている状態で、疲れも倍以上であろうと思われます。
ゴミの処理も一生懸命しているのですが、追っつかない状態です。ご理解をいただきたいとお願い致します。


10月22日(金)

被害に遭われた方にたいしまして心からお見舞い申し上げます。
20日朝からの雨でしたし、台風の接近も予想されていましたが、コーヒーを取引している会社の展示会があるということで、日頃配達に来ていただいている担当者からの希望もあり但馬空港多目的ホールまでそれでも朝のうちにと思い昼前に出かけました。顔出しをすませ帰ろうとする昼過ぎにはもうすごい雨と風が吹いていましたので、急いで帰ってきました。地元消防団から裁判所前のロードミラーが倒れかかっているので危ないとの指摘を受け思い切り倒してきて、その足で桜町に行きました。
中央の公園近所は5時頃には道路に水が溢れていて近所の方も心配ですとおっしゃてましたが。その後7時に出動したときは、桜町会館に行くのに大回りをしていかなければ、行けない状態でした。徹夜になりました。というより寝る暇がありませんでした。
21日も同様です。途中問い合わせの電話もありすぐに回答ができず情けなかったです。
今日は午前中から病院の屋上の貯水タンクがポンプが壊れて使えないと言うことで、
消防団に依頼があり、というものの私たちの分団は被災した方も多く人員が足りなくて私を含めても6,7名の出動となりました。病院の屋上からタンクに水を入れながら、見渡すとすごい光景が目に飛び込んできました。悲しい光景でした。何もできない自分だけがそこにあり呆然となりました。


10月19日(火)
体重というものはどういう事なのか。朝は102キロ、昼は103キロ夕方は101キロで、夕方の体重でいえば、増えていないことになります。もう少し運動をして何とか今月中に、100キロを切りたいです。
地元消防団の班長会議に出席。空港訓練、班長以上の研修会、秋の火災予防週間、りく祭の出動、団員懇親ボーリング大会と年末警戒まで事業が目白押し。若手団員のほとんどがPTAの役員や自警団を兼ねていて、地区の子供会の役員さんです。なぜなら子どもが少ないから必然的にそういう状況になるのです。こういう実態をふまえて
どちらが大切か等という不毛な議論をすることではなく、実態に即した自治消防のあり方を考えてIいただきたいと思います。


10月18日(月)
豊岡病院長を初め各部長の先生方との懇親会がありました。院長先生には、統括事務所と議会との連携を、事務部長には地元企業優先をそれぞれテーマにしてお話をしてきました。とても有意義な時間がもてたと思っています。その後は昔から知り合いと先生とゆっくり二人で話しました。私の精神的な悩み、また最近の気を遣う損な性格について、ご専門の立場jから適切なアドバイスをいただき、また久しぶりのことなので大いにグチををこぼしてしまいました。楽しかったです。ただ体重が少し増えてきているようです。


10月17日(日)
だんじりを片づけ、お世話になった方にお礼をいい今年の祭も終了しました。どっと疲れが出てというより肩は痛いし腰は重いしで何をするにもゆっくりした動作になり”年”を感じました。また明日から忙しくなります。今日中に体調を整え備えたいと思います。


10 月16日(土)

とっても嬉しいです。朝のだんじり行進も無事終わりいよいよ夜のだんじりが始まろうとする時間。何人きてくれるか不安でしかたなかったのですが、若い人が沢山参加してくれて、大いに士気が上がりました。本来地元区内からだんじりを出さないのですが、今日は若手に押されて生田通りまで出かけていきました。その後は会館で子どもからお年寄りまで大懇親会となり、私の理想とする五穀豊穣を願い、実りの秋を感謝し区内のみんながそのことで参集し交流をするということがそろそろ理解されてきたのかなと思いとてもとても嬉しかったです。


10月15日(金)
ある歴史ある団体の長を引き受けないかと先輩から声をかけられました。
嬉しいことでもありますが、迷っています。なぜならそのことだけに時間が割けないのが今の現状だからです。今でも何役もしていて時間的に苦しいのに、受けてかえって迷惑がかかるようだと、受けない方がいいし−−。断れば怖い先輩の顔をつぶすことになるとのことで、またまた苦慮しています。幸い事務局にその団体の会員がいたものですからもう少し相談をして決めようと思っています。まいったなあ。


10月14日(木)

葬式が終わり、相談事があるという事務所へ。行政に対する不信感を切々と訴えられ参ってしまいました。議員として真摯に受け止めできる限りの対処をしていきたいと思っています。また地元自治会の秋祭りの準備もしなくてはなりません。明日はその準備で大忙しになりそうです。


10月13日(水)
お葬式も無事を終わり、ホッとしているとまた訃報が入り今日もお通夜です。
いろんな面でいろんな考え方がありそれを調整したりすることが多くなってきました。それぞれがもう少し気を遣っていただければいいのですが、大きな声でそれが絶対のように言われ後で収拾がつかなくなることがあります。しかしながら、ある程度のところで、方向性を見いださなければなりません。そうなると間にいる私への非難として返ってくることで決着をつけなければなりません。それはそれでいいのですが引っ込めてもらった人からは恨まれます。協力してもらえません。自分の意見が通らなければ何もしないというスタンスです。
こういうことが、最近気になりだしなりました。


10月12日(火)

合併後の議会運営についての協議会があり、委員長の代わりに出席しました。
驚きました。豊岡市は200億弱の予算規模の議会ですので、明治以来議会のあり方を模索してきてこの様式が適当であろうという概念の中で、議会が機能していますが、あと5町の議会は、失礼ながらそれだけの成熟をみていない議会の中で、(なぜなら予算規模が小さいから)長年培った経験だけの意見が出るので、議会運営の話しの浮き下が合いません。議長、議会運営委員長の会議でしたので、多分私が一番年少でしょう。年配の方はやはりこれまでのプライドと豊岡市に対する闘争心だけが渦巻き、新しい市の新しい議会としてどうしようという意気込みが感じられず非常に失望して帰ってきました。
その後お通夜へ。これまたいろんな意見、考え方、経験からの押し出し、何となく過ぎていきましたが、大変でした。とてもとても疲れた一日でした。ただ決して私が一番正しいとして
のぼせ上がっているわけではありませんので、誤解のないようお願い致します。


10月11日(月)
雨で市民体育祭の入場行進が中止になりました。直接バドミントン大会の会場である南中に行き、開会式を行いました。運悪く?助役、教育長が見に来られたときに、会長挨拶があり、お二人ともお上手な方なので、気分的にまいってしまいました。私のバドミントンをする姿を見せてくれと言われていましたが、何だか恥ずかしく状況を説明した後で、残念そうに帰って行かれました。そんな後ですので張り切ってしまい高校生相手に2勝してしまいました。チームも勿論優勝です。
途中で近所に不幸があり抜けてお悔やみを。99歳の大往生でした。連休明けますます忙しくなりそうです。


10月10日(日)
地元商店街で年末の売り出しについての会議がありました。昔は正月に備えてといことで忙しかったのですが、私も家が理容店で大晦日は徹夜で仕事している父を覚えています。
ここ10年前から年末商戦にかげりが出てきて、昨年はいたって低調な事態となりました。
普段からの生活が充実してきていることや、元旦から店を開ける店舗が増えていることなど、商店街を取り巻く環境の変化が著しいこともあり会議は進みませんでした。
あらためて案を練ることになりましたが、キビシイ状況に変わりありません。基本は各店舗の努力です。そしてそれのつながり、人との交流、何かヒントがありそうです。


10月 9日(土)
土曜、日曜の予定ということにいつも疑問を感じているのですが、県民局の事業または市役所の各課ごとの催しが重なることが多くその動員に大変な努力がいる。同じ日にするなら午前と午後で時間配分をするとか、各課で事前の調整をすとかなぜできないのでしょうか。いつも不思議に感じているところです。こういう問題は役人上がりの市長より、民間上がりの市長の方が、政治的判断として取り組めるような気がします。


10月 8日(金)
全国グリーンツーリズム研究大会二日目の今日。勿論私は早め早めに出かける方ですが細君が大会を前に歌を歌う趣向の中でピアノ伴奏を頼まれたとのこと。
心配で?いつもよりもっと早くに行きました。何でも中貝市長肝いりの大会前の合唱だそうです。なんともはや中貝市長らしい。県が絡んでいるから県にも頼んだんだろうなあ。

途中で抜けて幹事長会議へ。
前からこの日記でも書いていましたが、在任中の議員報酬の話しです。
市町長会が第三者機関である正式には”新市特別職等報酬等検討委員会”に諮問しこの前新聞紙上でも発表があったとおりの答申がありました。諮問した機関がこの答申が出たときにはそれを尊重するとして設置したときは何も言わず、答申がでた途端にこんな答申はダメということを議会として言おうじゃないかじゃ、筋が通らないと思うし、こういう問題は良いとか悪いとか言えないんじゃないかと
思うと発言したところある議員から大変なお怒りを受けました。議会がなめられているのに、それを容認するのかと言うことらしい。この問題はあと5町の議会のこともあるし他の町会議員の報酬も下げることになるということに、自分たちの報酬も含めごもっともということはないということみたいです。
じゃあ、どうすればいいんでしょうか。合併を進めるという前提の中でお答え願いたいものです。


10月 7日(木)
豊田経済会の懇親会で、昨日から鳥取に行っていました。天候にも恵まれ良い懇親ができたと思います。帰ってきてから1時間ほど反省会をして疲れていたのでしょうすぐに寝てしまいました。


10月 5日(火)
昨日の報酬審議会からの答申に対して、どう対処するかの相談がありましたが、一貫して昨日ような主張をしてきました。なんか私としては納得がいかないような方向性になりそうですがいろんな考え方があるということで気持ちを押さえています。
商売の中でよく言われていることですが、一億円の年商の企業が10社集まると10億円の企業になるとの考え方もありますが、結局は一億円の企業でしか結果がでないことが多いのです。100億〜30億の予算の考え方と200億での考え方の違いということも、ありそうです。合併を目の前にすると難しいことがポロポロでてきます。


10月 4日(月)
議会だより編集委員会が開かれ、今度の議会だよりの編集について話し合いがあり、落ち着いたところで、ある議員が今回発表になった在任特例の間の議員報酬について議会としてもの申したい等と訳のわからないことを言い出して何だか腹が立ってきました。合併を前提として合併協議会で在任を決めその時は何も言わず、在任時の報酬に関しては審議会を設けて決めるということで、新市になり在任あとの選挙後30名の議員報酬に関しては、新市での報酬審議会を設け決めるとあったじゃないですか。その時に何も言わず決まってから何か言わなきゃじゃ話しにならないし、市町長会で諮問して、市町長会に答申が出たことに何で議会があれこれ言わなきゃならないの。また何を言うの、何が言えるの。
わからない、理解できない、事務局もしっかり指導しなきゃ。ついつい飲んでしまいました。


10月 3日(日)
りく祭のりく娘の認定式に行ってきました。まちづくり会社から商品券を提供するためです。
第7回のりく祭ですが認定式では、そのスタッフが私よりどう見ても年配の方ばかりで、少し戸惑いました。それと同時に心配にもなりました。兎に角そうはいってもりく娘さん、きらびやかでかわいらしかったです。口の悪い先輩からは、目録渡すとき”抱きつくなよ”と貴重なアドバイス?を頂きました。


10月 2日(土)
高校の卒業年度全員の同窓会をしようと自分の中であたためていたのですが、具体的には半世紀を生きた記念同窓会と位置づけ正月3日に開催予定で、いつものように案内を出し、返事がきた時点で内容を詰めようと−−−。
私のもっとも信頼している友人の中でもク−ルな性格で有名な友から、とてもとても心配だといわれ続けていましたが、あのク−ルな奴が何をそんなに心配をしているのか、わからなかったのですが、今日たまたまいろんな面でお世話になっているひとに、会うことができ
思いのたけをぶつけたところ、みんなはさすがに考えていて、いい話しを聞くことができ、またまた反省をしたところです。私はできが悪いですが、まわりは優秀な人が多いということにあらためて感謝する次第です。


10月 1日(金)

朝がゆの会があり朝6時30分に間に合うよう起きました。眠いです。
細君の誕生日です。緊張してます。