11月30日(火)
台風23号に係る災害対策特別委員会。午前中は浄化センタ−・一日市堤防・立野堤防・庄境地区・山崩れ現場・新田小学校・公民館・東デイサービス・被災ゴミ置き場と回ってきました。昼からは支援策を中心に当局から詳細な説明を受け質疑。
夕方閉会となりました。避難状況では18世帯35名の報告があり12月中旬には県営住宅を始め行き先が決まっていて退去の予定とのこと。支援策と支援を受けられることとの違いが明確になり、混乱が予想されます。兎に角みんなで頑張るしかないと言うことです。
 垣屋五郎右衛門が大石内蔵助の東下りの時、白紙の道中手形に驚愕しそのフクサに浅野の家紋があり、自らが謝り、また手形を渡すという場面をビデオでみて”武士は相身互い、苦しいときにこそその情けが胸にしみる
”という下りで不覚にも泣いてしまいました。この時期何度見ても、忠臣蔵では泣いてしまいます。
議員の中で武士はいないのか!
残念。


11月29日(月)

議会運営委員会。市民からの匿名の投書について取り扱いを協議。私の考え方は議長が事実関係を本人に正し適切な対応をとったとの報告を受けそれで議会としての対処は適切であったと考えます。一通の匿名の投書で議会が揺れ動くようだと、これから悪意のある匿名の投書にも
すべて反応しなければなりません。議員は議員として自己責任の中で活動をされているのですから、法に触れることがないなら議員がその責任を負うことでいいんではないでしょうか。中途半端な対応より議会として毅然とした態度で臨むことが賢明だと考えます。夜は駅通り商店街の総会に出席。


11月28日(日)

明日の議会運営委員会の対応のため、予定されている市長専決の補正予算の説明書を幹部職員の方が持ってこられた。議会も全面的な協力をしたいのですが、災害といいながらも手続きと審議が必要なので、右から左へというわけにはいきません。対応に苦慮しています。また、同僚議員のことでいろんなご批判もいただいているところですが、選挙で選ばれてきている議員にどこまで議会としてご批判に答えることができるのか、難しい問題です。そのことでの対応でも大変です。
夜は地元商店街の復興年末セールの最終の打ち合わせ。被災者の方の大変さを理解しつつ、誤解を恐れず言えば商店の売り上げは去年の3分の1以下です。豊岡市全体の経済を立て直さなければ、復興にも影響が出ることは必至です。忘年会の自粛も、考え方やり方を変えて行ってほしいものです。


11月27日(土)
駅前でイルミネ−ションをするということで、その準備を見に行ってきました。実行委員の一人が一生懸命準備している姿と、協力してくれている足場係の人や何よりも懇意にしている電気工事屋さんですが、寒さの中、電源のチェックを忙しくくされている様子をみて心温まるおもいがしました。何かをするとき、すべてがスム−ズにいくことはありません。困難なときどうするかが、問われます。また、人のせいにもできません。どんなことでもそうでしょうが何かを成し遂げることは難しいことです。救いは”思いやりの心と愛”だと思います。


11月26日(金)
来週は議会開会一週間前の週なのでその準備があり忙しくなるので、その打ち合わせをしていました。合併も控えているのでその一元化準備もあり大変です。
12月議会も防災服着用となりそうですが、被災者の方の配慮もわかりますが、この災害で事業を断念する所や、廃業をする人が多々あり、事業者数が減り、失業者が増えると言うことになり豊岡市の経済がますます落ち込んで行きそうで心配です。商店街も売り上げが去年の三分の一や四分の一に落ち込んでいて先行きの財源確保にも影響がでそうです。
私としましては復旧には精一杯の力を出さなくてはなりませんが、そろそろ復興にも手をつけなければと考えています。災害対策本部を災害復興本部に切り替え気分をあらためる必要があるように思うのですが−−−−。


11月25日(木)
蓼川水路のことで、都市整備、下水道、農政、水道事業所と回ってきました。地元の方の要望と施策の整合性など自分なりの理解が深まりました。近隣区長にその報告をして、よりよい方向に向けての話しをしちょっと一段落です。


11月24日(水)
懸案事項の一つが片づいてホッとして、福知山市議会議員の依頼に答えていたところですが、防災に関しての勉強と言うことで私を頼ってこられましたので。当局も交えて意見交換を行いました。ここまでは良かったのですが、4時からの面談でちょっと辛いことがありました。個人的なことですが−−−。消防団での出動もありましたが、家人が消し止めたと言うことで、私は出ませんでしたなぜか落ち着かない一日となりました。


11月23日(火)
昼から、市民のかたが相談事でお見えになりなぜか2時間ごとに人と会ってました。


11月22日(月)
台風23号に係る災害対策時別委員会を開催しました。被害状況がほぼ確定したと言うことで、詳細な説明を受けました。一部委員から説明と対応だけでは物足りない主旨の発言もありましたが、私としましてはまずは正確な状況把握をして、支援策を問い、また県からの支援策が出されていますが、どれも県が三分の二、市が三分の一を負担して施策となりうるのであって、今市として対応を検討中ですから答えられないことを問いただすわけにも行かないわけですので、次回の委員会までには被災市民への支援策を提示できるよう当局に要請をして、公共施設の現地視察を含めて次回委員会の協議課題といたしました。
一部特定被災者へ多額の義援金が
市を介して渡っているとの指摘がありましたが、当局からいっさいそのような事実はないとの答えをいただいていますのでご報告します。


11月21日(日)
土曜日は消防団の防火パトロールがあり、久しぶりに団員とゆっくり話しをしました。
あのときのことが、団員によって記憶している時間がマチマチなので、みんなで時間系列を一生懸命まとめました。やはり団員も動転していたのでしょう記憶が誰も曖昧で、出来事だけが鮮明にのこっているようです。
今日は結婚式。その会場では3組の新しいカップルが誕生していまして、自粛しなくてはならないという意識が残っている身としては、すごい華やかで違和感を感じました。
ただ、早くこういうことが普通になるように、感じるようになりたいです。


11月19日(金)

東京駅でのカバン展示会へ行ってこられた方のお話を伺いました。あまり積極的な評価をお持ちではないようでしたが、盛況だったようです。業界としてはもっと現実的な対応と支援策が欲しいとのことをお願いしたいということで、お話を伺いました。お昼から中筋地区のある区長からの依頼で同地区の無提地帯から、また山に上がりそのすさまじい被害状況を見てきました。堤防も大事ですが、山の管理ができていないためでしょうか、山からの水が大量に土石流となって下流の集落を襲った様がよくわかりました。市街地での生活ではわからない現実をみて言葉を失いました。どこもが大変な状況でどこもが何とかして欲しい要望があり、また新聞紙上で県からの支援策が打ち出されましたが、いずれにしても市がどう受けるかがまだ決まっていないわけで、支援策と支援が受けられることとは違うということがまた新たな誤解を生んでいるようです。いろんなことを考えてしまい戸惑っています。


11月18日(木)
地元商店街の年末の売り出しについて理事会が開かれました。こういう状況の時にしかも被害のない商店街がイベントをしていいのか?とか毎年行っているイベントであることだし、売り上げには結びつかないかもしれないがやるべきだとの意見があり、検討の結果、実施することとなりました。私としては自粛ムードであることよりも、一緒になって元気になろうということで妥当な結論が出たんではないかと考えています。あとはやり方です。
バイパス沿いの店舗が、災害後の復興セールで過去最高の集客をされた店舗が沢山あるようです。そういう
情報を聞きまだまだ豊岡市の底力を感じます。元気出したいです。


11月17日(水)

被災者証明を求められる人で市役所一階ロビーは混雑していました。市役所入口前では救援物資のカイロや運動靴を被災者の方に無償で配られていましたが、皆さん遠慮されているように感じました。いつまで防災服でいるのかという問い合わせも多数あります。
公民館に避難されている方が合わせてまだ70名ほどおられるのに、気の毒だという見解や、そろそろ人や金やもの、情報が動かなくては豊岡市の経済が破綻するという意見もあります。難しいことです。私としましては、この災害により廃業をされる方が少なからずあるということも耳にしていますので。となると事業家が減り失業者が増えて、税収も減るということにもなり復興の妨げになるのではないかという懸念もあります。一ヶ月過ぎた頃を目途に ”豊岡元気宣言”をして地方経済の復活を復旧とともに始めていただきたいと考えています。


11月16日(火)
職員の被災者証明の窓口対応がとても悪いという苦情が本当に沢山あります。特別委員長になってからますます多く寄せられるようになりました。その現場に立ち会っていないのでなんとも言えないのですが−−−。一生懸命対応されているとは思うのですが−−−−
残念です。


11月15日(月)
昨日(14日)、朝は中ノ郷、市谷地域の被害状況を聞きに行ってきました。昼からは防火パトロールで市内、1,2,3,4分団合同の出動。
今日は、朝から県庁、県議会、大阪の近畿地方整備局への陳情。姫路市、神戸市へはお礼の挨拶回りと復旧、復興に向けてのお願いに行ってきました。
行政の予算というものは、現況復帰が原則で補正予算もその予算であり、より強くより安全なまちづくりをお願いしてもそれは別枠になってしまうのです。だからこそ政治力でこれをなんとかしようとしているのですが、県、国も財政厳しき折なかなかウンとは言いません。
国会議員、県会議員と連携を保ちこれを乗り越えるべく活動を展開するつもりです。
ご理解をいただきますようお願い致します。


11月13日(土)
朝早く、電話が何本か入りました。新聞を見たということで災害の時のことや、現在の状況これからの支援策についてのご意見をいただきました
非常に機転の利く事務局職員から各社新聞の切り抜きがこれも朝早くにファックスで届いていてどういう報道がなされているのかを把握できていたものですから対応がスムーズに行えました。それだけ市民の方々の注目を集めているということより早く現実を直視し、速やかで現実味のある対応を求めておられることがひしひしと伝わってきました。
豊岡市が埋没しないよう活動を続けます。少しづつでも一緒に前を向いて歩き出しましょう


11月12日(金)
豊岡市議会臨時会が開会されました。国、県市への意見書、決議を採択し、災害対策特別委員会を設置。これから調査研究、再発防止陳情活動等行うことで可決。
特別委員長に就任。責任の重さを痛感しています。


11月11日(木)
今日は1が4つ並ぶ日ということで、見方により+−+−(プラス・マイナス)となり電池の日であり、1を並べると靴が二人分そろっているように見えるから、足袋の日か、下駄の日とも言うらしいし、鮭の字は魚を取ると見えるでしょう?だから鮭の日だとか。まあ楽しい日であるはずでしたが、明日の臨時議会の為昼から役所に缶詰でした。議会へ市民の方から投書がありました。匿名ですが、議員はこんな大変なとき何もしていないじゃないかという内容でした。大変な誤解をされている訳ですが、言い訳をせずこれからも市民福祉の向上のため活動をしていきたいと考えています。パフャーマンスを中心にする議員であるより着実な一歩を踏み出す議員であり続けたいと新たに決意したところです。これからもあたたかいご理解とご支援をお願いいたします。


11月10日(水)
消防であの夜から一緒に活動した人達と話しをしているうちに少し飲もうかということになり家に残っていたもので飲もうということになりました。途中で何本か電話があり近所の方も参加され今回のことの検証会となりました。兎に角浸水速度が異様に早かったという点では皆さん一致した意見でしたが、その対応については意見の分かれることとなりました。
皆さんそれぞれにお疲れがあるのでしょうか、一気にしゃべりスッと帰って行かれました。


11月 9日(火)
幹事長会議。12日開会臨時議会の意見書案の協議。これだけの被災者がありまだ避難者がいる中でたくさんの要望を取り入れようとする傾向があり休憩をはさみながら、主旨にそった意見書になるよう会派での調整をお願いし夕方決着。一つ一つの文言に議会の思いが綴られています。また、支援して下さった各自治体やボライテアの皆様方に感謝の決議も行います。この状態がまだまだ落ち着きませんがそれぞれが少しづつ元気を出して乗り切りたいです。


11月 8日(月)
議会運営委員会が開催され12日一日間の会期で災害対策特別委員会を設置することが確認され、総額18億円の専決補正予算が計上されました。大変な金額で驚いていましたが、福井での場合は100億を超える専決があった前例があるとの報告も受け、豊岡市もこれからどれくらの金額になるのかと思うとぞっとします。議会としても県、国への積極的な陳情、要望活動が求められています。会派を超えて活動を展開したいと考えています。
ただこの災害のとらえ方に議員間での温度差があり、またそれにより議会対応にズレが生じているようなので、キッチリ精査しなくてはならないと感じています。


11月 7日(日)

土曜日は仲間の議員とこれからの対応や臨時議会に向けての準備を行いました。
今日は、それでもいつもお世話になっているところの学祭が開催されていて、3時間ほど出かけていきました。途中で役所から電話あり、引き返して議会事務局へ。日曜も関係なく持ち場がある部署で、出勤の方が多くおられました。
復興が第1ですが、同時に豊岡市の活力も合わせて押し上げていかなければ、先行きが見えません。毎日イライラした生活を送っています。


11月 5日(金)
今日も議会では決算特別委員会が開かれていました。粛々として議会活動が行われていますが、やはり落ち着かない中での委員会ではないのかなと思いましたが、しっかりとした審議がおこなわれているようでした。休憩時間ではゴミのこと今後のことなど意見交換を
しておられましたし根底には何とかこの局面を打開したいとの認識で一致したところです。


11月 4日(木)
議会だより編集委員会が午前中開かれ、午後からは拡大幹事長会議。今回の台風23号の被害状況、今後の見通し等報告を受け議会としての対応を協議。臨時議会を開催し特別委員会の設置を確認したところです。今回の議会対応が遅いとの意見も出ましたが、22名中14名が被害に遭い間接的な被害を加えるとほぼ全員がなんなかの影響を受けている現状の中、対策委員会への毎回の出席、それぞれの地域での活動を放棄できなかった事実もあり、ここが職員で被災された方との違いであろうと思われます。
これから復興に向けてお金がかかります。議会としてこれからが大切です。普段の生活に早く戻れるよう財政的な支援を得るため積極的な活動を行います。
来週からが正念場です。頑張りますので理解をいただきたいとお願い致します。


11月 3日(水)
朝早くからいろんな所の人が訪ねてきてくれてたくさんのその時の状況を聞くことができました。本来は私の方から行かなければならないことですのに恐縮してしまいます。
自分たちの認識の甘さや行政に対する不満、激励等まさしくいろんな考えがあり答えに窮することや、じゃどうすればいい?と質問したりし”今回”を検証していました。
昼前に役所に行くと職員の方がまだまだ忙しくされていて、顔見知りの職員に声をかけると家が床上で車は大丈夫だったとかどちらもダメだったとかそんな状況を聞き頭のさがる思いになりました。ご苦労様です。
駅通りではふれあい一番館で被災者へ物資提供をしていたりでそこでも商店街の人が頑張っておられて居場所がなくなりました。早くに豊岡市が元気にならなければみんなまいってしまいます。そんな思いの休日でした。


11月 2日(火)
少しずつ落ちつてきたように感じます。お店の再開も進んでいるようで食べにきて下さいというお誘いも増えてきました。しかしながら役所では被災者証明申請書窓口は忙しく中々バランスをとって元気になることは難しいということも理解できます。早く活気を取り戻さなくては双方がまいってしまいます。どうすればいいのか皆目見当がつきません。
またボランテアの方々の誠意には心から敬意を表したいものです。
明日の休日は自分自身の休息日にして心身共にリラックスしようと予定しています。


11月 1日(月)
6時30分からの朝がゆの会に行きました。普段より少ない人数でした。まだまだ台風の爪痕が消えません。それでも今日からは月も変わりみんなで頑張ろうという気持ちが湧き上がっていました。決壊した地区の人も久しぶりに食事に出て酒を飲みワイワイしてきたが気分が晴れてよかったいっておられて、もうそろそろそうなってきてもいいんじゃないかとも言っておられました。同感です。
それなりの地位や役職にある人が進んで”このさいゴミ”を出しているとの指摘を受けショックを受けました。特にバッジを付けている人間はこの災害に対し何ができるかを考えてまた行動をして行かなくてはならない立場なのに−−−。
ポンプ設置が少なくとも今のところ最良の治水対策であるとのことになんの疑いもなく陳情活動を始め市民の皆さんに主張してきたのに、今までの活動は何だったのか?これからどうすべきか問われているときなのに。残念でたまりません。