3月31日(水)
父のお店でお世話になっている方が退院して、先週からリハビリを兼ねて店に出てきてもらっているんですが、まだまだハサミやカミソリを使えない状態でしたが、今日時間があるかと聞かれ、結局夕方に時間ができ散髪をしてもらいました。勿論はハサミも使い、顔そりもしてもらってです。まだまだ、お客さんをするところまで回復してませんが、何だか泣けてきてしまいました。これから顔そりは二日に一回練習としてしてもらおうと思っています。


3月30日(火)
昨日は引き継ぎ会、今日はお別れ会と地元区の年度末行事が無事終了しました。自治会を支えていかなければならない年代が極端に少なくなり維持していくことがとても困難な時代になりました。役員の中で私より年下は二人しかいません。そんなこんなでその若手二人と繰り出し来年度の役について引き続きのお願いをしてきました。それぞれ快く引き受けて頂きホッとしたところです。行きつけのお店で若手の一人が普段はとても理論的なことを
言うのですが、そのお店の子に理論は勿論、性格、心理的なことを指摘されおとなしくなっていく様を見ることができたこと、一緒にいて何だか楽しかったです。


3月29日(月)
市営自動車教習所の事業予定者が、東番自動車教習所に決定しました。今後の予定として気になることは、現在の職員の処遇がどうなるのかですが、個別に希望を聞き、引き続き教習所希望なら新しい教習所で、またそうでないのなら役所での受け入れを考えるとのこと。そういったことを含めて基本協定を締結して、平成16年10月から平成17年1月までの間に経営を移譲する計画。新しいことがどんどん入ってきます。流されないように自分をしっかりもって対処していく覚悟です。


3月28日(日)
土曜日は、ホウレンソウ倶楽部の懇親会において、合併後の議員の任期と選挙日程が決定した今、次期市議会議員選挙に引き続き立候補の意志があることを表明しご支援のお願いをしたところです。いろんな意見がある中で特に気になったのは、議員の仕事がわからないということです。いつも忙しそうにしているけど一体何をしているんだと言う質問に的確に答えていいものかどうか。各種団体の活動と、いろんなことで訪ねてこられる方のことや冠婚葬祭のことまで報告するのがいいのか、純粋に議員としての仕事として各議会のことだけのことでいいのか。こう答えました。日常から議会の審議まですべてが議員活動だと。だから、いかなる時も議員としての気概を失わず奢らず、卑屈にならずいるんだということを。理解をしていただくために今後も活動を展開していきますし、またよく見守っていただきますよう心からお願いする次第です。


3月26日(金)

豊岡市仏教会主催の講演会が中央会館でありました。講師先生の話は、よく死といことをみつめながら生きなさいといことが主題でした。かつてアナウンサー時代の同級生が死に至りそのときのことを語りながらでの講演でした。会場一杯の人がとても熱心に聞いておられたのが印象的でした。
夕方からはある福祉団体からのご相談。役所仕事と現場認識の大きなギャップに悔し涙でのお話でした。何とか力になりたいと決意してます。


3月25日(木)
一年ぐらいしかサラリーマン生活をしていないので大きなことは言えませんが、勤めた会社はノルマのある会社で、朝礼でいつも大きな声で社訓をほえていました。そんな会社というより業界でしたから、仕事ができなければ上司からの叱責がひどく半年で半分が辞めていくような状況でした。もう一つやっかいだったのは会社の人間関係です。できない人をどう対処するのかで、残る人の数が決まります。そんな風景を見てきましたから、明日の人事異動は大変だと思います。また公務員ですので辞めることはない中でのことですので民間よりそのことでも辛いでしょう。市長に罷免の権限でもあれば、もっと違った役所の雰囲気になるのではと−−−。どんな職場に異動しても残っても心新たに市政推進の目的に向かって邁進していただきますよう期待しています。


3月24日(水)
親しい友人とお昼を一緒に取りました。とりたててこれといった話題があるわけではないのですが、とても安心できる”時”を過ごしました。
消防の訓練は、団員の半数が出席して、みんな昼の仕事でお疲れだろうに一生懸命されるものですから本当に頭がさがります。この現実を各区長さんが認識して頂きできるだけ割り当ての人員確保に尽力願いたいものですし、今の団員には心配りをして頂きたいなあとあらためて感じるものでした。


3月23日(火)
市の職員の方たちにとっては一番の関心事である人事異動の時期となりました。今月の26日に発表になりますが、気になることだと推察します。また市民にとっても全体は勿論、関係が深い部署の人事は気になるところでしょう。あからさまに名前をあげてあの職員はダメだという市民の声も耳にします。ともあれ異動の春、卒業の春、自分の中での区切りの春です。私も密かに期すことがあるのですが−−−。地元小学校の卒業式。おぼえてもいないのに自分の中でその当時のことをなつかしがってしまいました。みんなで歌った歌が森山直太郎の”さくら”でした。時代は恐ろしく早く過ぎているようです。


3月22日(月)
3月議会閉会日。無事閉会することができました。3時からは最終春まつりの打ち合わせ。
6時から打ち上げ。忙しい一日でした。いつも思うことですが、何かをしようとすれば、必ず世話をする人が必要になります。その方々は人数の確認をし金額の設定から二次会までの準備をします。そのことを考えると途中で帰ったりできないと思うのですが−−−。



3月21日(日)
第19回兵庫・豊岡円山川マラソン大会がマラソンにはもってこいの天候で開催されました。開会式では遠くからの参加者や高齢の方の参加者に記念品の贈呈があったりして和気あいあいの内に終了しました。招待選手は小崎まり(ノーリツ女子陸上競技部)、清水智也(佐川急便陸上競技部)選手で特に清水選手は豊岡市出身の双子の兄弟の弟さんでということもありとても誇らしくうれしく感じました。こんな時だけ招待するのではなく日頃からこの兄弟の応援を豊岡市としてすればいいのに、行政ができなければ体育協会でと思いました。一人でテントの中にいたので係の人をつけてゆっくりしてはと声をかけると、けなげに豊岡市に招待をしてもらっただけでとても嬉しい、と答えてくれました。感動です。


3月20日(土)
コウノトリと共生する水田づくりシンポジウムが中央会館で開催されました。直接農業にたずさわってないので聞いていてもわからないことが多かったです。また、虫や昆虫の調査結果を聞いても昔から苦手なモノでしてあまりピンとこなかったです。環境がよくなるということは、昔のような風景がもどるということであり、タガメやゲンゴロウ、カエルが生息することを意味することであるらしいですが。しかしこれだけ清潔感にあふれた生活を送っている人が、虫の付いているキャベツ、泥のついている大根、曲がったキュウリを受け入れるのだろうか、そちらの方ももっと教育というか理解をしてもらえるようにして、需要と供給のバランスを成り立たせなくてはそこに経済の破綻がきてせっかくの環境復帰もそこのところから崩れていきそうな気がしました。無農薬やアイガモ農法での米や野菜等は今の価格よりも勿論高くなるわけでして、とにもかくにも景気の浮揚という後押しが欲しいところです。が、どうも相反することのようで、効率と自然に任せてでは、やはり効率重視にならざるを得ないのでは、と思いますがどうでしょう。


3月19日(金)

地元区の役員会。引き継ぎ会やお別れ会の日程調整。所要時間20分。私が区長になってからは協議事項を兎に角かたづけて、後の雑談までは拘束しないということを実行してきましたが、議事が早すぎるという意見や、この程度なら年配の方も隣保長を引き受けることができるとかいろいろなことがありましたが、若手が年配者に比べて極端に少なくまた年々自治会の役員や役割が増えてくると自治会運営が非常に苦しいのが現状です。廃品回収一つとっても区民全員で協力しなければできません。これからの自治会運営はどこの区とも大変です。その後来年度の役員構成の依頼で隣の居酒屋で、次は近所のおでん屋さんへと区内を巡回しました。


3月18日(木)
南地区の合併住民説明会。福祉会館三階には40名ほどの人数。内三分の一は職員が。
中央会館のときも少なかったですが、それ以上でした。質問も少なく街中の人の意識は合併後でもあまり変わらないという認識なのか。
その後、兎に角見ていたテレビドラマ(ビデオを撮ったりして)の最終回を見ました。”無念”
という主人公の言葉が印象的でした。細君が泣いてましてた。


3月17日(水)
各派幹事長会議。閉会日に向けて忙しくなってきました。夜は商店街の理事会。春祭りに合わせて花プレゼントとの打ち合わせ。ホームページが新しくなってメールの本数が増えました。嬉しいです。本当は頼りにしている同級生にお世話になったのですが−−−。


3月16日(火)
市街地区長会のお別れ会。32地区中8地区の区長さんが変わられます。ご苦労様でした。どこの地区でもそうでしょうが、この時期大変なんです。そんな中での辞める方残る方との一緒になってのお別れ会は独特な雰囲気があります。私自身は引き続きのこととなりましたが−−−。各区長さん方も地区での活動が昔に比べてとても大変になっているとか、地区から出す役員の要請に苦慮している実態の話が出ていました。兎に角区長さんは大変だ。


3月15日(月)
会う人ごとに税金の滞納が多いこととか、払わなくても不能欠損として処理してくれることを。また豊岡市は何でも和解して巨額の金額を払うのですねと。入ってくる金額を徴収しなくて払うことだけはすぐするということを指摘され議会の対応を強く批判されます。税金の滞納やその処理に対して、議会答弁では人員が足りないということも理由の一つにあげていましたが、そのことに対して私も少し当局が勘違いしているという認識をもっていますやはりそのことは当局の怠慢であり、税務課だけに責任を押しつけるのではなく職員が日を決めて総出で対応すればいいじゃないかと思うのですが。市長もまずは陳謝が必要ではなかったでしょうか。


3月14日(日)

ぽかぽか陽気で気持ちのいい日になりました。が一日中家にいて書類の整理やら掃除をして過ごしました。毎日キャベツを食べて、毎朝腹筋をし自分なりのダイエットを続けていますが、結果がでません。この陽気が続くようならまた神武山、山王山を歩くことを開始しなければと思っています。


3月13日(土)
今井雅之さんの豊劇での舞台挨拶。午前中の第1回上映では予想外に少なくて2時30分からの舞台挨拶の時が心配だとのことで行きました。220席の内ほぼ満席という状態。マスコミも今井さん始め新山千春、渋谷亜紀他出演者全員舞台に上がるといことで2,3の新聞社が取材にきていました。顔見知りの記者によろしくとお願いすると逆に議会での市長の対応について質問を受けてしまいました。
要するに市長がもう少し人の話を聞き、判断を誤らないようにした方がいいということなんです。私の知らないところでもそういう話が出ているから木谷しか意見が言えないと言われてますよ、とハッパをかけられました。そんなこんなで舞台挨拶終了し映画上映。出演者全員後ろの席で鑑賞。


3月12日(金)
文教常任委員会。当初予算の審議ですので、月曜日まで時間をとってあるのですが、夕方までには審査が終了しました。総務、建設は月曜日まで審査があるようです。文教委員会では、教育問題を中心に南中の生徒の和解について他慎重な審査が行われました。
夜は、昔2年間お世話になった部署の局長が定年退職されるものですから、その送別会。


3月11日(木)
一般質問が終了。鳥インフルエンザの意見書も無事採択。明日からは所管の委員会に議案の審査を委託。22日最終日採決。昨日は仲間の議員と議案ごとの意見交換。合併のことでどの委員会も議論が出そう。副議長は恒例により文教民生委員会に所属となっていますので、教育と福祉関係の予算案を審査します。
13日の豊劇でのすっぴんブルース封切りの案内が来ました。2時半からの上映の時に舞台挨拶がある予定なのですが、その時に観客がすくなかっては一大事。
皆さん、行きましょう。豊劇へ!


3月10日(水)
一般質問3日目。その後幹事長会、議会運営委員会。鳥インフルエンザの対応に関する意見書を閉会日まで待たずに明日採択しょうとすることでその手続きと打ち合わせ。

3月 9日(火)
一般質問二日目。夜は合併住民説明会。中央会館で50名ほどだったかなあ。
質問時間では議員の在任を認めるのはおかしいと執拗に言う人がいましたが、
何度もここで言いましたが、合併をするという目的にたいしての選択肢がここでしか見いだせなかったのです。


3月 8日(月)
一般質問が始まりました。今年度は副議長ということで質問ができませんが、できないとなると人のことが気になる。勝手なものです。市長にズバッと切り込んで欲しいものです。明日も引き続き一般質問。


3月 7日(日)

所属している組合の総会がありました。大雪のため当日欠席が二人ほどありましたが、無事に総会が終了しました。役員改選時でしたが、このご時世なかなか受けて頂く人がなく大変な選考委員会だったみたいです。それでも何とか新役員を承認していただきました。役員に方はご苦労様ですがみんなも協力して何とか盛り上げていきましょう。
明日からは一般質問が始まります。


3月 6日(土)
中心市街地活性化支援フォーラムに行きましたが、もう何度も過去に於いて実施したことのある内容であり、いつまでこういうことを続けていくのかと残念に思う会でした。役所の予算の消化事業のようで、本当に市街地の活性化を考えているのかと思います。手っ取り早く市役所前駐車場を11時まで延長するとか、役所の購入備品は豊岡市在住の経営者が営業している店に限るとかしてもらったほうが、コンサルタントの先生方に何百万も払うより即効性があるような気がします。
士農工商
。まだまだ商売人は信用されていません。商売人も本当は政治でも経済でも旗色を示し強く圧力をかけなければ支援の仕方が行政もわからないのではないのでしょうか。私は力になりたいのですが−−−−−


3月 5日(金)

私立短大の卒業式。市長の祝辞が相変わらずうまかった。感心してそのことを話すと共鳴はしてくれるのですが、もうひとつうなずいてくれない。、人間の欲というものは限りないもので、うまいだけではもう物足りなくなってきていて最近ではその時はうまいと思っても心に残らないという評価が多くなってきている現実に驚きを感じます。亡くなられましたが、ある人が私にこういうことをおっしゃいました。挨拶は下手でもいいから存在感を出しなさいと。その人曰く尊敬されていた方は話が下手だがその中にその人の人間性が出ていて支持者が増えると−−−市長も挨拶だけが独り立ちしていて市長の人間性がもうひとつでていないのかなあ−−
泥臭く生きて、キラリと光る挨拶をということかな−−−−


3月 4日(木)
入院中の父のところを助けてもらっている人の退院が20日と決まりました。食事もできトイレも行けるのですが視界がもう少し不自由だそうです。父と私とその方の身内の方と今後のことを話しましたが、兎に角日中は父のところにいて散歩なり、できることをしてリハビリをしようということになりました。わたしのところも昼から開けていることが少ないので休憩場所にということで少し様子を見ようということになりました。どっちにしても生活をしていかなければならない現実があり本人もつらいでしょうがここは頑張ってもらうしかないです。


3月 3日(水)
3月議会の質問者が15名と確定しました。一般質問は8日から4日間になりそうです。その後同級生が喪主を務めるお葬式へ。こういう事態がいつ自分にも訪れるのかと思うとたまりません。春まつりの準備もしなくてはいけないし、地元の区の役員改選もあります。ひとつひとつどっしり構えて乗り切りたいです。
今日は私の入籍記念日です。細君がぞろ目の日に入籍したいということで、平成7年3月3日に入籍しました。感慨深いです。


3月 2日(火)
八条幼稚園園舎竣工式がありました。兵庫県産の木材を使用したことや、太陽光発電を設置したり、保育室には床暖房、雨水を散水等に使用するため、ウイスキー醸造に使用した廃樽を設置していたりと大変すばらしい施設となっています。逆にこんなにまでしていのかとも思えるくらいで、子供に気を使いすぎて創造性や独創性が失われはしないか、また耐えること、我慢することが身に付かないとも思えます。時代の流れの中でどんな状況と環境であれ何が大切でどれが目的なのかをしっかり見据えて成長して欲しいと願うばかりです。


3月 1日(月)
3月議会開会日。朝は6時前に起きて懇意のお寺へ。毎月1日は朝がゆの日。お経を読み朝がゆをいただいて急いで帰って役所へ。事務局への朝礼。議会開会。
市長総括説明、提案議案の説明、解散。お風呂の修理に来てもらっているため早めに帰る。7時前までお世話になりお風呂修理完了。8時過ぎに来客があり9時過ぎに待望のお風呂。遅い晩飯を食べながらも今日から議会開会ということもありいつものとおり気が高ぶってきました。合併前の予算案ですので慎重な審議が期待されます。